終わりのない祭り。

ねぶた師

北村 蓮明

北村蓮明さん(ねぶた師)の写真

太く、節くれ立っていたが、どこか敏捷な動物を思わせるその手は、彼が職人であることを物語っていた。「あの手はね、実は生まれつきなの。はじめて見たときは変わった手だなって思ったけど、あれがねぶたつくるのに向いていたのね」彼の妻は、少し誇らしげに微笑んだ。
北村蓮明(れんめい)。彼が、一卵性双生児の兄・隆とともに、ねぶたをつくりはじめたのは10歳のときだった。ずるすけ(悪ガキ・ガキ大将)だった彼は、最初は小遣いかせぎが目的だったという。14歳になると、ねぶた師の北川啓三のところに弟子入りした。初代ねぶた名人北川金三郎の息子にして、のちの二代目名人。青森ねぶたの基礎をつくったと言われる師匠のねぶたづくりは、弟子の前で、いきなり竹の棒で地面に図を描いて「これをつくれ」とか、自分の手を見せて「これ見てつくれ」とか、すべてそんな調子だったから、はじめは戸惑った。でも、師匠の言っていることを、どうしたらできるか考えることは楽しかった。見て、考えて、つくる。その作業は少年を次第に一人前のねぶた師へと育てていった。そして20歳になると「ねぶたで、食べていこう」と決めた。
ねぶた師。その仕事は発注がなければ、はじまらない。自分の仕事の評価は、その後の注文の数として表れるから、どこからも頼まれなくなれば、そこで廃業。彼が選んだのはそういう道だった。「あの人は、器用じゃないからね。イヤ、手先は器用なのよ。すごく。だけど頑固で、朝から晩までねぶたのことばかり」
観る人が感動するねぶたをつくりたくて、下絵を何度も描いては破り、描き直した。角材を組み、針金をまげ、電球の配置に頭を悩ませた。寡黙な彼にとって、ねぶたは言葉であり、夢であり、命そのものだった。そんな日々を重ね、いくつもの大きな賞がもらえるようになる頃、ねぶた師を代表するねぶた師になっていた。誰もつくったことがないねぶたをつくりたい。いまでも思うことは、それだけだ。「あの人の生き方を見ていて思うの。きっとねぶたをつくるために生まれてきた人なんだって」
今年69歳になった。引退は、考えたこともない。彼は、昔と変わらない、いたずらっ子のような笑顔を浮かべて言う。
「ねぶたはさ、終わりがないんだよ」

北村蓮明さん(ねぶた師)の写真

北村 蓮明

青森ねぶた祭において、50年以上にわたり、ねぶたづくりに従事。「ねぶた大賞」「最優秀制作者賞」など多数受賞。そのねぶたは繊細かつダイナミック。遠くからでも観るものを圧倒する。

【伝統の火を灯すパナソニック】

青森ねぶた祭において、2010年より「パナソニックねぶた」はLEDを採用。2012年にはオールLEDを実現した。その省エネ性と長寿命、色再現力が、青森ねぶたの伝統と新しい挑戦を、美しく、鮮やかに彩っています。