そして心は、音になった。

ピアニスト

西川 悟平

西川悟平さん(ピアニスト)の写真

コンサート会場に入ると、いつものように真っ先にピアノへ向かう。せっかちと思われるかもしれないけど、僕はピアノと仲良くなるのに時間がかかるんだ。このピアノはどんな音が、得意なのか。どんな風に音を鳴らして欲しいのか。一音一音、確かめていく。そして自分の指の調子を一本一本。7本の指に問いかけるように。
ジストニア。体の一部が動かなくなる難病と診断されたとき、僕はピアニストとして絶好調だった。ニューヨークでデビューして、すぐにリンカーンセンターやカーネギーホールで弾くこともできた。だけど指が動かなくなって、ピアノは、一生弾けないと言われた。「どうして僕なんだ」真夜中のアパートメントで、ひとりで泣いた。中学生の教室から、必死で追いかけてきた夢は、ここで終わりなのか。でも、僕はピアノが好きだった。大好きだった。前みたいに弾けなくてもいいから、もう一曲だけ、ピアノを弾かせてください。こんなときだけ、神さまにお願いしたりした。
それから一つひとつの音を確かめるように。気が遠くなるほどゆっくりと。言うことを聞かない指に丁寧に音を教え込むように練習を続けた。7年。どうにか一曲弾けるようになるまでそれだけかかった。気がつくと5本の指が動かせるようになっていた。10年がすぎ、7本の指が動かせるようになる頃、僕の音が変わっていた。まるで心が、ピアノを通して音になったみたいに。不思議だった。10本の指で弾いていた頃、欲しくてしょうがなかった僕にしか鳴らせない音を、ピアノは奏でていた。憎んだこともあるこの指は、神さまからのギフト。いまではそう思う。
「西川さん、そろそろ準備お願いします」子どもたちいっぱい来てくれているかな。今日もピアノを通して伝えていきたいんだ。人生はいろいろあるけど、それでも夢は、叶うよと。

西川悟平さん(ピアニスト)教室に立っている写真

西川 悟平

2000年、リンカーンセンター・アリス・タリーホールにてニューヨークデビュー。その後、カーネギーホールにて演奏するなど、順調にキャリアを重ねるが、難病ジストニアにより両手の演奏機能を失う。懸命なリハビリの末、7本の指で演奏できるまでに回復。現在、再びプロのピアニストとして活躍中。

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