1964年(昭和39年)

熱海会談を開催

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熱海会議に参集した人々

景気後退の中で市場競争が激化

高度成長を続けてきた日本経済は、1964年の東京オリンピックブームのなかで深刻な反省期を迎える。高度成長の行き過ぎで金融が引き締められ、景気は急速に後退した。年率30%もの成長を続けてきた電機業界も、主要商品の普及一巡で伸び率が鈍化したところへ、金融の引締めが重なり、需要が停滞し、設備過剰が表面化して深刻な影響を受ける。

そのなかでわが社は、総力を結集して経営体質の改善に取り組んだが、市況は一層悪化し、1964年11月期の半期売上は1950年以来、初めて減収減益となった。販売不振により市場競争は激化し、販売会社、代理店も赤字経営に陥るところが激増した。

この深刻な事態を打開するため、1964年7月、全国の販売会社、代理店の社長との懇談会を熱海で開催した。世にいう熱海会談である。

会議は白熱した。販売会社、代理店からは苦しい経営実態の訴えとともに、製品や販売施策に関して多くの苦情、要望が出された。わが社側も販売会社に自主的な経営努力を求め、その責任を問うた。

会議は3日目に入った。議論は続いていたが、松下幸之助会長が立って「このような事態を招いた原因の半分は、日本経済と業界の混乱にあるが、われわれが好況に慣れて安易感をもったことにも原因がある。販売会社の依存を責める前に、まずわが社自身が改めるべき点は改め、その上で販売会社にも求める点があれば率直に改善を求めて、危機を打開していくしか方法はない。売上の減少などはこの際、問題でない」と反省の念を表明した。

松下会長の目に涙が光っていた。会場はそれまでのとげとげしい雰囲気から一転して粛然となり、お互いの努力と協力を誓い合って、会談は幕を閉じた。

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真剣な討議が交わされた熱海会談