1993年(平成5年)

森下社長のもとに新たな出発

「創造と挑戦」をスローガンに

「いざなぎ景気」を越えるかといわれた好況も1991年の年初から陰りが見えてくる。後半には金融不祥事が発生し、バブル経済は崩壊する。翌年には献金疑惑事件が発生して政局が混迷する中、地価、株価が暴落、不況はいよいよ深刻化する。電機業界も需要が前年を大きく下回り、各社とも苦しい対応を余儀なくされる。

「複合不況」と呼ばれ、景気回復の光明がなかなか見出せない1993年2月、谷井社長に代わって、森下洋一が社長に就任することになった。

森下社長はその年の9月、緊急経営懇談会を枚方で開催。わが社の「再生」に向けて、「創造と挑戦」を旗印に積極的な改革に取り組むことを強く要請した。

直ちに「再生3ヵ年計画」の作成に着手。翌年から真剣な取り組みがなされた。AVC部門の大幅な改革、本社技術部門の再編、間接部門の30%効率化などである。

96年度は増収増益で「再生」に区切りをつけて終了した。97年度から「発展2000年計画」に基づく、グローバルな経営構造改革への取り組みが始まる。21世紀に向けて。

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アメリカ松下電子工業を視察中の森下社長。

フィリップス社との合弁を解消

これまで松下電子工業(株)の株式は、パナソニックが65%、フィリップス社(フィリップス・エレクトロニクス(株)およびフィリップス白熱電球製造(株))が35%を保有していたが、このフィリップス社所有の株式35%分を、総額1千850億円(1株当たり645円)で買い取る基本合意が、1993年4月に成立、これにより松下電子工業の株式は、当社が全額保有することになった。

これにともなって、40年余りに及ぶ松下電子工業の合弁事業についての両社の関係は解消されたが、新たに、松下電子工業の事業分野に関する特許のクロスライセンス契約が、松下電子工業とフィリップス社との間で締結された。

松下電子工業は1952年(昭和27年)12月、わが社とフィリップス社の合弁で設立された最初の協力事業である。松下幸之助創業者が、将来の発展のためには欧米の先進企業との技術提携が不可欠と、直接米国や欧州の有力企業を訪問して提携先を検討し、フィリップス社との合弁を決断したものである。当時の当社の資本金5億円を上回る資本金6億6千万円で設立された。

その後、松下電子工業は、2001年4月にパナソニックと合併、社内分社「半導体社」「ディスプレイデバイス社」「照明社」として新たなスタートを切ることとなった。