1-3. 風呂屋

大正6年6月、幸之助は独立を決心した。手元資金わずかに95円余り。生活していた4畳半の2畳の借家に工場スペースを作るのも、みずからの手で行った。妻と妻の実弟、それに二人の知人を加えて始めた事業は、ソケットの胴に使う練物の製法も知らないというスタートだった。やがて何とか完成した改良ソケットだが、売れ行きは散々。うまくいかないことがはっきりしてきたころ、二人の知人は幸之助のもとを去っていった。しかし、幸之助は、まだまだ、あきらめる気にならなかった。きっと成功する。不思議とそんな自信があった。そして、そんな幸之助を支えたのは、まだ若い、妻の「むめの」であった。

「さあ、そろそろ、風呂でも行こうか」「あなた、これ、うまく動かんみたいなんやけど……」「ん、どれ、かしてみ。おかしいな……。いっぺんバラしてみようか」

たった2銭の風呂代にもことかく日もあった。むめのはそんな生活の苦労を幸之助に感じさせまいと、風呂屋が閉まる時間まで、なにかと話を持ち出しては気持ちをそらし、一方で行水の用意をしたという。むめのは指輪も替えの着物も、幸之助に黙って、あらかた質屋へ入れてしまった。それでも作った製品は売れないまま、ひと月余りが過ぎ去った。