7-1. 熱海会談

昭和36年、会長に退いた幸之助は、活動拠点を京都の別邸「真々庵」に移し、会社運営の日常業務から離れた。ただし、社業の第一線から身を引いたといっても、「立志伝中の人」として講演や取材の依頼が殺到。相変わらず多忙な日々を過ごしていた。しかし、空前の家電ブームも需要一巡で成長鈍化の時期を迎える。

昭和39年初夏、幸之助は報告書を眺めながら考え込んでいた。高度成長からくる業界の過熱投資や過当競争を少なからず憂いていた幸之助は、長年の経験で、数字に表れた減収減益の兆しに、数字以上の事態の深刻さ、構造的行き詰まりを感じ取っていたのである。

やがて、営業所長たちは会長からの突然の号令を聞く。「営業所長が同道し、販売会社、代理店の社長さんに、一人残らずお集りいただきたい」----。場所は熱海である。