43. 綱領と信条を制定 1929年(昭和4年)

昭和2年3月に金融恐慌が起こり、経済界は深刻な不況に陥った。一方、松下は順調な発展を続け、昭和3年には、販売は月10万円、従業員も300人に増え、なお隆昌の機運にあった。そこで、所主は、昭和3年11月に、月産10万台の生産能力をもつランプ工場と新本店の建設を始めた。

業容が拡大し、声価が高まるにつれ、所主は、「松下電器は社会からの預かりものである。忠実に経営し、その責任を果たさねばならない」と考えるようになった。そこで落成も間近に迫った昭和4年3月、社名を「松下電気器具製作所」から「松下電器製作所」と改称するとともに、綱領と信条を制定した。

現在は「産業人タルノ本分ニ徹シ 社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ 世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス」と改められ、当時の綱領と多少表現が違うが、まだ町工場の域を出ない個人経営の松下が、単なる利潤追求を目指さず、社会の発展に寄与することを基本方針に掲げたのは興味深い。

なお、信条は現在、「向上発展ハ各員ノ和親協力ヲ得ルニ非ザレバ得難シ 各員至誠ヲ旨トシー致団結社務ニ服スルコト」と改められている。