44. 深刻な不況を独自の打開策で克服 1929年(昭和4年)

昭和4年5月に新本店、工場も完成し、松下は順調に発展し続けていた。

ところが、7月からの政府の緊縮政策による景気後退に加えて、10月24日、いわゆる「暗黒の木曜日」、二ューヨーク株式市場の大暴落を契機に、世界恐慌が勃発した。この大恐慌で、日本経済は痛烈な打撃を受け、深刻な混乱に陥った。

工場閉鎖や首切りが一般化し、街には失業者があふれ、社会不安が一挙に高まった。松下も売り上げが止まり、倉庫は在庫でいっぱいになった。時に、所主は病気静養中である。そこに、幹部から「従業員を半減し、この窮状を打開しては」との進言があった。

そのとき、所主はふと別の考えがひらめき、「生産は半減するが、従業員は解雇してはならない。給与も全額支給する。工場は半日勤務にし、店員は休日を返上し、ストックの販売に全力を傾注してほしい」と指示した。

所主のこの方針が告げられると、全員が歓声を上げた。おのずから一致団結の姿が生まれ、全店員が無休で販売に努力した結果、2ヵ月後にはストックは一掃され、逆にフル生産に入るほどの活況を呈するに至った。