134. PHP誌が100万部を達成 1969年(昭和44年)

昭和22年4月に創刊されたPHP誌は、B5判、42ぺージ。その時の部数は約1万部。しかし、敗戦後の生活難が続く中では、普及もままならない状態であった。

昭和24年6月号から判型をB6判に変更した。昭和25年7月には、当時の社長が松下電器の経営再建声明を発表、PHP研究は中断され、PHP誌もぺージ数が半減された。しかし、連綿と刊行され続け、その間、編集内容には、さまざまな企画が盛り込まれれた。

昭和36年1月、社長が会長になったのを機に、8月にPHP研究を再開した。PHP誌の編集にも力が注がれ、昭和40年1月号の通巻200号(発行部数55,000部)を境に、本格的な普及活動が開始された。

201号から、会長の「日本の繁栄譜」と題する政治、経済、教育など社会全般にわたる建設的提言が連載されるなど誌面充実が図られて、部数は急激に増加した。昭和42年1月号20万部強、昭和43年1月号52万部となり、昭和44年1月、248号をもって100万部に達した。