営業・マーケティング 阪本 真一郎

営業・マーケティング 阪本 真一郎 営業・マーケティング 阪本 真一郎
営業・マーケティング 阪本 真一郎

営業という、パナソニックブランドの価値を広めていく仕事。

営業として、溶接機・溶接ロボットなどを船や自動車を製造するメーカーに納めています。直接エンドユーザー様に販売するわけではなく、パートナー契約を結んでいる代理店様を通じて販売するため、代理店・販売店様に対する営業支援が基本的な活動です。実は就職活動を始めた当初の第一志望は広告業界。その一方で、「働くなら世界を舞台に活躍したい」という気持ちもありました。最終的には「グローバルメーカーで働くことで、日本のモノづくりの力を世界に広める役割を果たせるのではないか?」という視点に気付き、広報部門を志望してパナソニックへの入社を決めました。しかし、配属されたのは営業。不本意な配属にモチベーションが下がった時期もありましたが、様々なプロジェクトを通じて、営業こそ企業ブランドを伝えていく「最前線の広報担当」だと気付きました。まず、営業個人を好きになっていただき、営業を通してパナソニック製品のファンになっていただく。エンドユーザー様に対しても、代理店・販売店様に対しても、それは同じです。もともと広報を希望していた私ですが、結果的に営業という仕事にチャレンジできて良かったと思っています。最近では配属されてきた後輩の教育担当を任されるようになり、後輩を育てる責任を感じ、悩みながらも、充実した日々を送っています。

営業・マーケティング 阪本 真一郎

市況を読みながら戦略を立て、事業を動かす。

リーマンショック以降、なかなか景気が回復せずに製造業が苦しんでいた時期。代理店様に頼ってばかりでは売上を伸ばすことが難しくなってきた中、私たち自身がエンドユーザー様に製品の魅力を直接訴えていく活動を中心に行うという、営業方針の転換が行われました。実際に製品を使われるエンドユーザー様がパナソニック製品に魅力を感じていただければ、代理店様の業績も自然に上がっていくはず。その考え方は理解できても、はじめは従来と180度異なるやり方に戸惑いました。でも、造船や自動車業界の工場を訪問し、現場の方々が私たちの製品に興味を示してくださるケースが増える様子を見て、新しいやり方が間違っていないことを実感できました。市況を読みながら戦略を立てることで事業を動かす、営業の醍醐味を知ることができた貴重な経験でした。また、大規模なコンペなどにおいては、営業が中心になり、専門知識の豊富なSE/SIたちと一体となって提案を作りこんでいくのがパナソニックのスタイル。コンペに勝利し、無事にシステムを納入した時には、お客様から「阪本さんに頼んでよかった。他の人だったらできなかったと思うよ」という言葉をいただくこともあります。そんな時、自分の仕事の価値を実感できるのも営業の醍醐味です。

私のキャリアヒストリー 私のキャリアヒストリー

研修を終え配属。不本意な営業生活がスタート。

希望していた広報部門ではなく、営業部門への配属。溶接ロボットという製品もよく分からず、不本意な配属でモチベーションは低かった。しかし、上司や先輩に助けられたこともあり、以後これより下がることはなかった。

営業の最前線へ。福岡で、がむしゃらに働く。

福岡に異動。非常に忙しく、余計なことを考えるヒマがなかった。がむしゃらに働くうちに、仕事の面白さと充実感を感じるように。モチベーションが徐々に高まる。

営業方針の大転換に戸惑いを隠せず。

ようやく営業に慣れてきたタイミングで上司が変わり、新しい営業方針が示される。前の上司のやり方とは180度違うスタイルで、困惑する。 

新しいやり方で成功。大きな自信へとつながった。

やっていくうちに、新しい営業方針が景気の悪い時代にフィットしていることに気付く。やがてそれが受注につながり、営業としての自信が高まった。

コンペで大勝利。リクルーター活動に参加し、新たな刺激も。

社内のSE/SIと力を合わせ、大規模案件のコンペに勝利。同時期にリクルーターとして新卒採用活動にも関わるようになり、他の事業部の社員や大学時代の同期と話す機会が増える。様々な人との出会いに刺激を受け、自分の仕事に誇りを感じた。

配属されてきた新入社員の指導員を任される。

配属されてきた後輩の教育担当を任されるようになる。後輩を育てる責任を感じ、悩みながらも、充実した日々を送っている。

念願の海外営業として北米へ。期待が膨らむ日々。

やりたかった海外営業を任され、米国担当で月の半分をアメリカにいるようなハードな生活をしている。

営業・マーケティング 阪本 真一郎

入社の決め手 入社の決め手

就職活動を始めた当初の第一志望は広告業界。その一方で、少年時代をアメリカで過ごしたこともあり、「働くなら世界を舞台に活躍したい」という気持ちもありました。どちらの方向に進むべきか悩みましたが、最終的には「グローバルメーカーで働くことで、日本のモノづくりの力を世界に広める役割を果たせるのではないか?」という視点に気付いたのです。その発見がパナソニックを志望するきっかけになりました。