命知以来、強い使命感で一段(いちだん)と社員の団結(だんけつ)が深まった松下電器製作所(まつしたでんきせいさくしょ)の勢(いきお)いは、とどまるところを知らなかった。しかしその一方で、事業が規模(きぼ)においても社会的責任(しゃかいてきせきにん)においても今までのレベルを超(こ)え、一人ですべてを切り盛(も)りする限界(げんかい)を超えつつあることを幸之助は肌(はだ)で感じはじめていた。これ以上大きくなると一人では細かく注意を配ることができなくなる。それに、社会の公器(※1)として、松下電器製作所には、もし病弱な自分が倒(たお)れようとも運営(うんえい)されていく義務(ぎむ)もある。幸之助は新しい段階(だんかい)に入った事業に合った新しい体制(たいせい)の必要を考えていた。もっといい人材を育て、もっと任(まか)せていきたい----。幸之助は前から温めていた一つの構想(こうそう)である「店員養成所(てんいんようせいじょ)」の開設(かいせつ)や生産増加(せいさんぞうか)のための新工場建設(しんこうじょうけんせつ)に適(てき)した土地をいつしか探(さが)し始めていた。

昭和6年末のある日、一人の松下店員が門真駅に降(お)り立った。松下の新天地を探す命を受けて枚方(ひらかた)に出向いた帰りがけであった。一面に広がる広大な田園風景。京阪電車(けいはんでんしゃ)の駅は近く、広い道路にも面している。枚方での調査(ちょうさ)がいまひとつだったこともある。彼(かれ)は、ここは結構(けっこう)いいのではないかと思った。その足で耕地整理組合長(こうちせいりくみあいちょう)を訪(たず)ねたところ、組合長も誘致(ゆうち)(※2)に乗り気のようである。その話を聞いて、幸之助は様子を見に門真に足を運んだ。

※1 公器(こうき):おおやけのもの
※2 誘致(ゆうち):積極的にまねくこと