「おい、驚(おどろ)いたで。社長の家に冷蔵庫の具合をみにいってきてんけどな、中に何入ってたと思う」
「そんなにええもん入ってたんか」
「逆(ぎゃく)や。何と芋(いも)のつるや。丼(どんぶり)がひとつと、そこに芋のつるが入ってるだけやった」

GHQの指令で、給料までも制限(せいげん)されていた幸之助の生活は窮乏(きゅうぼう)(※1)していた。松下電器(まつしたでんき)の再建(さいけん)に心血を注いできた幸之助にとって会社は赤字、自分は食うにも困(こま)るという非常(ひじょう)に苦しい日々(ひび)であった。昭和24年には松下電器の物品税(ぶっぴんぜい)滞納(たいのう)(※2)が世間の話題になり、幸之助は新聞に「滞納王(たいのうおう)」と報(ほう)じられるほど行き詰(づ)まった状況(じょうきょう)の中にいた。

※1 窮乏(きゅうぼう):お金や物が不足して、生活にこまること
※2 滞納(たいのう):期日がすぎても、おかねや品物をおさめないこと