デンマークで生まれたノーマライゼーションがアメリカでさかんになる前まで、アメリカではバリアフリーという言葉がたくさん使われていたんだ。

バリアフリーの「バリア」っていう言葉を聞いて、なにを思い出すかな? シールドやバリア、そう、壁(かべ)のようにさえぎられる感じがするよね。駅や階段(かいだん)、歩道や建物で、たった10センチの段やすき間があるために、車いすの人は通れない。こういうときに、この段は「バリア」ってよばれていたんだ。車いすの人のために、そのバリアをなくそうというのが、バリアフリーだよ。

でも、しょうがいのある人にとってのバリアは、モノだけじゃない。しょうがいのない人が「あの人はしょうがいがあってかわいそう」ということも、しょうがいのあるひとにとっては気持ちのバリアになってしまう。みんなも、友だちや町の中で知らない人から、自分がいつも、ふつうにやっていることを見て「あ、かわいそう」と思われたら、どう感じる? 楽しい思いやありがとうという気持ちじゃなく、少し悲しく、どうしてこうなんだろう…と思っちゃうんじゃないかな。実は一番大切なバリアフリーは、この気持ちのバリアをとることなんだ。

アメリカで生活する、ある車いすの人は「日本に来たら、しょうがい者になった気分がする」と言ったけれど、アメリカでは車いすで生活することで不便を感じることや、特別な目で見られることはほとんどないらしい。それはみんなの気持ちの中が、バリアフリーじゃなく、そうするのがふつうというノーマライゼーションになっているからなんだね。