認定NPO法人 ICANの組織基盤強化ストーリー

フィリピンの紛争地帯で“暴力の文化”をなくす地方に存在することの強みを活かし、大きく成長  認定NPO法人 アジア日本相互交流センター・ICAN(アイキャン)

子どもたちが平和な社会を享受できるようにと、フィリピンと名古屋を拠点に活動を続けてきた「NPO法人 ICAN」。財政破綻の危機を脱した組織基盤強化の取り組みについて、事務局長の井川定一さんに話を聞きました。
THE BIG ISSUE JAPAN ビッグイシュー日本版 第217号(2013年6月15日発行)掲載内容を再編集しました]

奨学金や物資の提供から、 住民が中心となって 地域を変えていく活動へ

アイキャン
事務局長 井川 定一さん

「NPO法人 ICAN(以下、アイキャン)」は1994年、スタディツアーでフィリピンを訪れた一人の会社員によって名古屋に設立された。 現在、事務局長を務める井川定一さんによれば、「会社員だった前代表が、路上に置かれた子どもや火山の噴火で被災した子どもと出会い、友人と5万円を集め、フィリピンの子どもの奨学金制度を設けたのが始まり」だという。団体名には「一人ひとりができることを持ち寄ろう」という願いが込められている。

井川さん自身は学生時代、バックパッカーとしてアジア20ヵ国を回ったのがきっかけで、「自分が幸せに生きるためには、世界の子どもたちが幸せである必要があるのではないか」と思うようになり、フィリピン大学大学院で地域開発を学んだ後、アイキャンマニラ事務所の一員となった。

「私が入った05年は奨学金や物資の提供が主な活動でした。しかしそれだけでは、奨学金を得た子どもは学校を出て就職できても、地域に大きな変化をもたらすことはできません。そこで、住民が中心となって地域を変え、持続可能な仕組みにしていく活動へと移行することにしました」

たとえばフィリピン南部のミンダナオ島には40年以上、政府軍と反政府軍が武力衝突を繰り返してきた地域がある。

「氏(家族)同士の争いも絶えず、時には子どもの喧嘩が大規模な軍事衝突に発展することもあるほど暴力の文化が根づいていました。そんな村々に06年より、モデル校となる“平和の学校”をつくり、子どもたちに平和教育を行うため、先生や村のリーダーをトレーニングしてきました。毎年延べ1500人がトレーニングを受けています」

また、マニラ首都圏ケソン市郊外にはフィリピン最大のごみ処分場がある。ここで生計を立て、呼吸疾患や皮膚病などに苦しんでいた住民にアイキャンは当初、物資の提供をしていたが、徐々に保健・生計向上の活動へと移行。やがて、住民がフェアトレードの生産団体を設立し、今では住民主体の協同組合が薬局を運営し、その収入で地域医療センターの診療やデイケア活動をまかなえるまでになっている。

ミンダナオ紛争地に建てられた
“平和の学校”

地方に存在することの意義を再認識

フィリピンでの活動が多岐にわたっていく一方で、活動資金は伸び悩んでいた。
「法人化した2000年以降、会費・寄付・事業収入を合わせた年間の自己資金収入は1000万円程度と、ずっと横ばいでした。そして07年には、前年度からの繰越金があと少しで底をつくというところまで来てしまいました」
フィリピンの事務所はスタッフを増やしつつあったが、その分、日本の事務局は有給スタッフを一人しか雇えない状況にあった。
2008年4月から事務局長に就任した井川さんも無給で働かざるを得ず、貯金を切り崩して活動をしている状態だった。
「存続の危機に立たされているにもかかわらず、組織の中には、非営利組織でも経営の視点をもち、積極的に収入を増やすことが必要だという認識が欠けていました」

そこでアイキャンは2009年と2010年、「Panasonic NPOサポート ファンド」の助成を受け、組織基盤強化に取り組むこととなった。

「まずは私たちのような地方のNGOが、どのような運営を行っているか知るために、地方で活躍しているNGOの財務状況を徹底的に分析しました。併せて宗教法人や市会議員、商店街など、地方で経営を成り立たせている人たちのやりくりの仕方も勉強しました」
その中で見えてきたのは意外にも、東京ではなく「地方」に存在することの強みだった。
「それまではインターネットで会員を募るだけでしたが、地域の餅つき大会や交通安全キャンペーン、人の集まるバスターミナルなどにも出かけていっては地元の人と交流を図るようになりました。人間関係を築いたことで、それまで海外への関心が薄かった人たちも『○○さんの頼みなら』と、スタッフのがんばりに対して寄付をしてくれるようになりました」

またアイキャンでは、フィリピンの子どもたちの教育費に充てる書き損じ葉書を収集しているが、この活動を通じても地域とのつながりを深めていった。
「学校に葉書収集の協力をお願いした後も、授業でフィリピンの子どもたちのことを話しに行ったり、ボランティアを始めたいという先生の相談に乗ったりするなど、地元ならではのフォローもしました」
ここから発展し、愛知県内の小・中・高校生とフィリピンの子どもたちが絵手紙を交換するようになった「絵手紙大会」には、毎年約5000人が参加している。
地元の名古屋で「できることを持ち寄って実践しよう」と思う人を増やすことも重要なミッションなのだと気づいたことで、地元市民のアイキャンに対する意識とアイキャン自身の組織文化が目に見えて変わったと井川さんは振り返る。

活動資金を増やすために、事務局の一角で英会話・タガログ語会話の教室も始めた。名古屋大学に通うフィリピンからの留学生が、「母国のためになるなら」と講師を引き受けてくれたという。 「おかげで、ここで語学力を身につけた後に、アイキャンのスタディツアーに参加し、実際に路上の子どもたちと会話をしたことで、帰国後、街頭募金などのボランティアをする、といった新しい循環も生まれました」

4年間で有償スタッフ1人から10人に。 収入は4倍の1億円超に成長

組織基盤強化の一環として、「既存の会員と寄付者へのフォロー」にも取り組んだ。
「会員と寄付者を分析したところ、フィリピンの子どもたち、プロジェクト、スタッフの3点に共感してもらっていることがわかりました。そのため、会報もこの3点に焦点を合わせ、誌面を充実させていきました」
そして助成2年目には、事務局の業務システム構築にも取り組んだ。業務量が膨れ上がり、事務局長の井川さんに負担が集中していたからだ。
「2年目には、会報づくりやフェアトレード事業などを担ってくれるボランティアの研修にも力を注ぎ、助成後もNPOサポートファンドでの学びをもとに、新たに中間管理職やパートによるアシスタント制度を設けるなど、継続的に基盤強化に取り組んできました」

こういった取り組みの結果、主要事業の活動資金も獲得できるようになり、自己資金収入に委託金や助成金を加えた当期収入を助成前の2008年の年間2841万円から約1億3千万円まで増やすことに成功した。また、1人だった日本事務局の有給スタッフを2012年には10人まで増やすことができ、フィリピンの事務所を合わせると50人の有給スタッフを抱える組織に成長した。

さらに2010年からは外務省の「NGO相談員事業」も受託し、北陸・東海9県のNGOや一般市民を対象に相談業務や講演などの「出張サービス」を行っている。ここではまさに「NPOサポート ファンドの助成を受けて、組織を立て直した自分たちの実践と経験が大いに活かされています」と言う。

これまでの活動が評価されて、2010年には「平成22年外務大臣表彰」を受け、2011年には「フィリピン教育省12地区最優秀NGO」を受賞。そして活動拠点のフィリピン・ミンダナオ島にも変化の兆しが見え始めた。

「政府軍とイスラムの自治を唱える反政府軍が昨年10月、和平の枠組みで合意を結び、これから3年かけて最終和平合意を締結しようとしています。私たちが市民レベルで根づかせてきた平和教育とシンクロしながら、平和の機運がさらに盛り上がっていくことを期待しています」

NPO法人 NPO砂浜美術館

[団体プロフィール] 認定NPO法人アジア日本相互交流センター・ICAN(アイキャン)
1994年4月、フィリピンを訪れた会社員が友人と集めた5万円で設立。「子どもたちが紛争や貧困に苦しむことのない平和な社会」を目指し、フィリピンと日本の7つの拠点で、紛争地帯やごみ処分場、路上の子どもたちなどを対象にプログラムを実施。また「社会問題の解決に向けて行動する人」を増やすために国際理解教育、語学教室、スタディツアー、研修事業なども行っている。

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