1983年(昭和58年)

「ACTION-61」を推進

統合エレクトロニクスメーカーへ

山下社長が就任した翌1978年は、低成長期に入って円高、貿易摩擦も起こりつつあり、きわめて見通しのつきにくい不透明な時期だった。そこで短期的な見方をして目先の変化に振り回されることのないよう、従来の一年単位の事業計画に加えて、1978年後半から3ヵ年の中期計画を導入した。

次いで1981年には長期ビジョンを策定した。10年先を目標にして、その時、わが社はいかなる企業になっていなければならないか、そのために今なすべきことは何かを明確にすることが狙いであった。

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大鳴門大橋の道路照明システム。

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大阪城ホールの音響・映像・照明システム。

長期ビジョンを描くことによって、二つの方向が明らかになってきた。一つはわが社が家電事業をベースにして、総合エレクトロニクスメーカーへの道を歩み始めていることであり、もう一つは将来性の高い部品、半導体、産業分野への展開を通じて、企業発展の道を見いだしうることであった。
この路線に沿って技術開発の方向も明らかになり、技術開発プロジェクトをスタートさせた。

総合エレクトロニクスメーカーへの道をより具体的に実現していくため、1983年からの3ヵ年計画「ACTION-61」がスタートした。このねらいは、事業構造の改革と経営体質の強化、そして海外事業の強化であった。

海外事業の推進に際しては、(1)その国に歓迎される事業を行うこと。(2)その国の政府の方針にそって事業を推進していくこと。(3)品質、性能、コストにおいて、国際的な競争力のある製品を生産していくこと。(4)海外に対する技術移転を積極的に推進すること。(5)利益の上がる経営体質を確立し、事業拡大のための資金は自ら生み出していくこと。(6)現地従業員の育成に努力すること。以上の6項目が基本的な考え方とされた。

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中国縦貫道路のトンネル換気システム。