4-1. 躍進への地盤固め

命知以来、強い使命感で一段と社員の団結が深まった松下電器製作所の勢いは、とどまるところを知らなかった。しかしその一方で、事業が規模においても社会的責任においても今までのレベルを超え、一人ですべてを切り盛りする限界を超えつつあることを幸之助は肌で感じはじめていた。これ以上大きくなると一人では細かく注意を配ることができなくなる。それに、社会の公器として、松下電器製作所には、もし病弱な自分が倒れようとも運営されていく義務もある。幸之助は新しい段階に入った事業に合った新しい体制の必要を考えていた。もっといい人材を育て、もっと任せていきたい----。幸之助は前から温めていた一つの構想である「店員養成所」の開設や生産増加のための新工場建設に適した土地をいつしか探し始めていた。

昭和6年末のある日、一人の松下店員が門真駅に降り立った。松下の新天地を探す命を受けて枚方に出向いた帰りがけであった。一面に広がる広大な田園風景。京阪電車の駅は近く、広い道路にも面している。枚方での調査がいまひとつだったこともある。彼は、ここは結構いいのではないかと思った。その足で耕地整理組合長を訪ねたところ、組合長も誘致に乗り気のようである。その話を聞いて、幸之助は様子を見に門真に足を運んだ。