8-3. 80歳の東奔西走

かつて知人から「商売人が政治に手を出したらあかん」と戒められ、自分自身でも積極的な活動は控えてきた幸之助だが相談役に退いて経営に一線を画して以来、日に日に、日本の将来を案じる気持ちが強くなっていくのを抑えることはできなかった。

世界の繁栄の中心は時代と共に移り変わってきた。来るべき21世紀はアジアが世界の繁栄をリードする時代になるだろう。そのとき、日本は中心的役割を果たすべき立場にあるのではないか----。こう考えると、政治も経済も社会も、新しい世紀にふさわしい新しい国に変わる必要があると、幸之助は切実に感じていた。案じるあまり、頭が冴えてきて一睡もできない日もあるほどだった。

「日本が輝かしい21世紀を迎えるために、やりたいことがたくさんあるんや」

憂国の情から、幸之助は『崩れゆく日本をどう救うか』『新国土創成論』『無税国家論』などを発表し、「松下政経塾」を設立した。常に世界の中の日本という観点に立つ幸之助は、一方で積極的に世界に働きかけた。 国際科学技術財団をつくり、日本国際賞を設置。大きな視野に立って中国の近代化に協力しなければならないと、中国訪問も果たした。

21世紀に日本が果たすべき役割を大きなスケールで描き、世に問い、実行に東奔西走する幸之助は80歳を越えてなお、果てしない未来を見据えていた。

昭和62年、92歳の幸之助は勲一等旭日桐花大綬章を受章した。 民間人として異例の受章は、社会への役立ちを第一に考えて活動してきた証しであった。