7. 父の諭しで実業を続ける 1906年(明治39年)

幸之助満11歳の時、一家は和歌山を離れて、大阪の天満に移り住んだ。ちょうどこのころ、姉が勤務していた大阪貯金局で、給仕の募集があった。母は彼を手元で育てたいとの思いから、「この際、給仕をしながら夜間学校に行ってはどうか。お父さんと相談してみるから」と告げた。学業半ばにして奉公に出た彼は、この話に胸をふくらませて、母に「ぜひそうしてほしい」と頼んだ。

その後、父に会ったとき、彼は父から次のように諭された。「お母さんから、お前を、奉公をやめさせて給仕に出し、夜間学校に行かせたいという話を聞いたが、おれは反対じゃ。今まで通りに奉公を続けて、やがて実業で身を立ててほしい。それがお前のために、一番のよい道や」

彼は、父の言葉にうなづき、奉公を続けることにした。のちに、「さすがに父は当を得た考えをもっていたと、自分の今日あるをかえりみて、しみじみと思う」と述懐している。

その父は、明治39年9月、ふとした病気がもとでなくなった。満51歳であった。