11. 桜セメントに臨時就職 1910年(明治43年)

大阪電灯を志願したものの、すぐには採用されず、欠員待ちということになった。その間、幸之助は義兄の家に世話になっていたが、毎日ぶらぶらしているわけにもいかず、しばらくでも働く所はないかと義兄に相談した。幸い義兄が勤務していた桜セメントに臨時運搬工の口があり、使ってもらうことになった。

初めは荒くれ男にまじってトロッコ押しをしていたが、まだ満15歳で、体も一人前でない彼は、後から来るトロッコにすぐ追突されそうになった。監督が見かねて、もっと楽な仕事をさせようと考えたのであろう、10日余り過ぎてから、看貫(かんかん)工場に移された。

今度はセメントの分量を自動的にはかる看貫の機械を見張っているだけの楽な仕事だったが、なにせセメント製造の中心をなす工場だから、終日もうもうとほこりが立っている。口の中がジャリジャリになり、すぐのどが痛くなるのに閉口して、彼はまたもとの運搬工に戻してもらった。そのうちに、トロッコ押しにも慣れて楽にこなせるようになった。