19. 工事担当者から検査員に昇進 1917年(大正6年)

一家の責任を負うようになって、幸之助は一層仕事に精を出した。工事の腕も人並み以上で、社内の技能競技会で何回も1等を取るほどだったので、昇給も昇進も早かった。

結婚して1ヵ月後の10月には「自今日給金7拾4銭ヲ支給ス」との辞令をもらい、それから1年3ヵ月後の大正6年1月には「自今日給金8拾参銭支給」を受けている。

そして、間もなく満22歳の若さで、工事人の目標である検査員に昇進した。一緒に昇進した中で、彼は最年少だった。

検査員の仕事は、工事担当者がした配線工事をその家に行って検査するのであるが、彼は各担当者の仕事ぶりをよく飲み込んでいたので、その良否が一目でわかった。1日に15軒から20軒を回るのに、道順が良ければ、2,3時間ですんでしまい、前の仕事に比べると楽だったが、日がたつにつれて何か物足りなさを感じるようになった。そして、前から考えていたソケットの改良に取り組み始めた。