57. 門真地区に本店・工場を建設 1933年(昭和8年)

真使命の自覚を転機に、松下電器は新たな発展段階に入った。工場を増設しても、注文に応じ切れなくなり、所主は新しい本店・工場を建設しようと決心した。そこで、大阪市内に土地を求めたが、適当な所がない。たまたま門真地区に店員養成所を建てるために買収を進めていた土地があり、これを新本店・工場の建設予定地にした。

ところが、門真地区は大阪から見て東北方向の「鬼門」に当たる。昭和恐慌の記憶も新しいときで、7万平方メートルの広大な敷地を買収しての工場群建設に業界は驚く一方、放漫経営ではないかとの声が起こった。「鬼門」のことは、所主も気になったが、ふと「東北方向が鬼門なら、日本の地形はどこも鬼門ばかりだ」と思い至り、迷うことなく建設に着手した。

この進出に際して、所主は、「組織の膨張は、やがて崩壊に通じやすい。松下電器は今躍進か崩壊かの分岐点に立っている。新しい工場を生かすのは人である」と説き、全員を奮起させた。

幸いこの門真地区への進出は成功し、松下電器はこの地を拠点に世界的企業に成長し、開発が遅れていた門真地区は急速に発展していく。