89. アメリカ視察の旅に出発 1951年(昭和26年)

昭和26年1月18日、社長はアメリカに向けて旅立った。

アメリカに来てみて、まずその発展ぶりに驚いた。ニューヨークでは、昼でもこうこうと電気がついていた。当時の東京は毎日午後7時から1時間停電していたのである。また、GE社の標準型ラジオが24ドル、工員の賃金の2日分ほどの値段で売られていた。日本で同じ程度のラジオを買うためには、従業員は1ヵ月半ほどの賃金を払わねばならない。

その他例をあげればきりがないが、それほど豊かさに大きな差があった。社長はその繁栄ぶりを見聞するにつけ、日本の現実を思い、「早くアメリカのようにしなければならない」と痛感した。そして、その繁栄の原動力について考えた。国富の違いもあるが、社会や企業などあらゆる面で、各人の天分なり、知恵が存分に生かされるような仕組みになっていることに思い至った。

4月7日、帰国。行きは、5分刈りの頭だった社長が、髪を伸ばしキチッと分けている。出迎えの人びとは驚いた。何かしら新時代の到来を予感させる、さわやかな帰国風景だった。

帰国後、社長は「民主主義は繁栄主義である。日本も真の民主主義になったら、必ず繁栄する」との考えを発表した。