[松下幸之助歴史館 企画展]松下幸之助 伝える情熱<3部作>

松下幸之助歴史館 松下幸之助 伝える情熱<3部作> 第3部:給料袋が運んだ理念

会期:2019年10月7日(月)~11月23日(土)

「伝える情熱<3部作>」を締めくくる第3部では、幸之助が従業員に注いだ“伝える情熱”に迫ります。
1953年、社長の幸之助と従業員を結ぶ斬新な社内コミュニケーションの手法が松下電器に誕生しました。幸之助が着目したのは従業員の許に毎月届く給料袋でした。これに従業員へのメッセージを載せたリーフレットを入れる妙案が「給与リーフレット」の名で始まったのです。
第3部では、この「給与リーフレット」に光をあてます。従業員に対する幸之助の思いを、給料袋が運んだメッセージの行間に読み取ってください。

社内広報と「給与リーフレット」

松下幸之助は創業当初から、自身と従業員、また従業員同士のコミュニケーションを重んじ、それゆえ社内広報の充実に力を注いていきました。「給与リーフレット」を考案したのも、その一環であったと言えます。
1927(昭和2)年、幸之助は「歩一会」(1)と名付けた従業員会の機関誌として、『歩一会会誌』を創刊します。これが松下電器社内広報の嚆矢となりました。1934年には『松下電器 所内新聞』(翌年、株式会社化に伴い社内新聞に改称)が誕生し、経営方針、経営情報を従業員に徹底する役目を担います。戦後は、まず新聞が1946年に復刊され、続いて1954年、雑誌が『松風』の名でよみがえりました。
こうしたなかで異彩を放ったのが「給与リーフレット」です。思いを綴ったメッセージを必ず読んでもらえるようにしたい。この幸之助の“伝える情熱”が、「一人ひとりに宛てた給料袋をメディアに用いる」という妙案につながったのでしょう。

「給与リーフレット」の8年間
(給与リーフレット代表作を紹介)

幸之助が給料袋にリーフレットを封入した1953年1月から1961年1月までの8年間は、彼が松下電器の社長として、日本の家庭電化を強力に推進した時期でもありました。
幸之助が「再び開業する心構え」で本格的な会社再建に乗り出したのは、1951年のことでした。この年、幸之助は初のアメリカ視察を果たすと、翌1952年にはオランダのフィリップス社と技術提携を結び、来るべきエレクトロニクス時代に備えるべく松下電子工業を設立します。「給与リーフレットの8年間」が始まるのは、その翌年のことでした。
この8年間に会社は驚異的な発展を遂げます。従業員数は7千5百人から3倍強の2万3千人に増え、139億円であった売上は10倍近くの1,196億円に達しました。特筆すべきは、この間に「松下電器五ヵ年計画(1956~1960)が実行されたことです。「五ヵ年計画」を「大衆との見えざる契約」と呼んだ幸之助は、契約履行に向けて、製造・販売から需要家とのコミュニケーションに至るまで、ありとあらゆる手を打っていきました。そして計画が目標を大きく上回って達成されたのを見届けて、1961年1月、社長を退任し、会長に就任したのです。その月の「長い間 本当にありがとう」が、幸之助としての「給与リーフレット」最終回となりました。

映像で見るメッセージ

「給与リーフレット」を通じて幸之助が最も強く訴えたのが、「松下電器は社会の公器」であるという基本認識でした。
それに関するくだりを抜粋し、幸之助のポートレートとともに投影しています。
バックに流れる音楽は当時の社歌のメロディーです。