少年・松下幸之助の船場奉公時代 ―すべてはここから始まった―

松下幸之助歴史館 少年・松下幸之助の船場奉公時代 ―すべてはここから始まった―

会期:2020年2月24日(月)~5月23日(土)

一代で世界企業を創り上げた松下幸之助。その実業人生のスタートは、9歳の秋だった。先祖伝来の土地や屋敷を失った末、大阪で働いていた父の政楠が「幸之助にいい勤め口がある」と和歌山の家に手紙をよこしたからである。小学校を中退し、単身、商都・大阪に出て商店で奉公生活を始めることとなった少年・松下幸之助。住み込みで働く日々は、商売の厳しさを知る一方で、温かさに包まれたかけがえのない時代だった-。五代音吉、五代五兵衛の躾、そして父・政楠の思いを受け、商人としての原点を学んだ船場での修業時代を振り返ります。
<監修:PHP研究所>

1章 和歌山から来た少年

当時の南海鉄道(現・南海電鉄)紀ノ川駅から幸之助は、一人汽車に乗って大阪に向かった。1904(明治37)年11月23日、満10歳の誕生日を迎える4日前のことである。駅まで見送りに来た母は、心配と寂しさで目に涙を浮かべながら、こまごまとした注意を幸之助に言って聞かせた。幸之助も、母と別れる寂しさと、初めて汽車に乗るうれしさ、商都といわれる大阪へのあこがれと、悲喜こもごもの言いようのない思いでいっぱいであった。この晩秋の紀ノ川駅での情景は、いつまでも幸之助のまぶたに焼きついて離れなかった。

2章 幸之助を導いた人たち

幸之助の奉公先となった五代自転車商会の主人・五代音吉。音吉も7歳で最初の奉公に出て以来、さまざまな仕事を経て、時に失敗を重ねたが、国民に普及しつつあった自転車店の経営に乗り出し、成功した。顧客を大切にする律儀な商売観の持ち主であった。その音吉の兄である五代五兵衛は、15歳で盲目となり、あんま業で一家を支えた。周旋業に転じて財を成し、弟の音吉と障がい児を救済すべく、私立盲啞院を創立した。この私立盲啞院で院主・五兵衛を手伝ったのが、和歌山から大阪へ出ていた幸之助の父・政楠であった。幸之助が身を置いた五代自転車商会、政楠が身をおいた五兵衛の私立盲啞院は、ともども幸之助の重要な人生の場となり、幸之助は商売人としての修業の日々を送っていくのである。

3章 修業の日々

私はよく人と話をする機会があるが、あなたの成功の秘訣は何かという質問ほど、その返事に困ることはない。なるほど60年間の実業生活のなかには、私にとっていろいろと印象のふかい思い出もある。ところが、さて成功の秘訣は何かといわれると、どうもうまく答えられないのである。~中略~ しかし、あえて言うならば、私は小さいときから働くことが好きで、どういう仕事を与えられても自分なりに楽しく、また真剣にやることができたということかもしれない。もちろん、小僧奉公の時代などは、今日から考えると想像もつかないほどきびしいものであったが、子ども心ながら、それがあたり前だとわかりきって、朝早くから夜遅くまで、店先の掃除や子守り、あるいは店の手伝いも、結構楽しんで働いたものであった。

松下幸之助「悔いなき青春を」より