[松下幸之助歴史館 企画展]絆―苦境における一致団結―2020年9月5日(土曜日)~11月21日(土曜日)

松下幸之助歴史館 絆―苦境における一致団結―

会期:2020年9月5日(土)~11月21日(土)

2020年は、新型コロナウィルスの脅威とともにその幕を開けました。現在、日本の経済産業界は苦境に立たされています。かつて、松下幸之助も幾度となく危機に直面してきました。世界恐慌による経営難、戦中・終戦直後の苦難、家電ブームの反動による業界の危機など。しかし、幸之助と松下電器は、苦境のたびに様々な施策によってこれを乗り越え、発展をしてきました。これは決して幸之助の経営が秀でていただけではありません。その根底にあったものはなにか。それは人との「絆」です。従業員や家族、販売会社や代理店が一致団結をして、苦境に立ち向かったのです。
この企画展では、苦境に立ち向かってきた史実を振返り、人との「絆」を醸成してきた足跡をたどります。コミュニケーションの形が変容しつつある今日、私たちが対峙している苦境に、一筋の光明を見出す一助となれば幸甚です。

従業員、販売会社・代理店との絆

1.世界恐慌の不況を克服

創業間もなく「歩一会」を結成した幸之助。運動会やレクリエーション活動を通して、幸之助と従業員の結束は強固なものになっていった。1929(昭和4)年、世界恐慌に端を発した深刻な不況は、やがて松下電器にも波及し経営難に陥った。幸之助は「誰ひとり解雇しない。半日操業、給与は全額支給する」という打開策を示した。従業員はみな感激し、一致団結して在庫の一掃に奔走する。それまでの活動で生まれた結束の成果が、かたちになったと言える。結果、在庫の山は無くなり、工場はたちまちフル生産にもどる活況を取り戻した。さらに市場の活況を取り戻すため、正月の初荷である。

2.戦中・戦後の苦難を乗り越えて

混沌とした戦時下の中で、幸之助が取り組んだのは明るい職場づくりであった。歩一会運動会や演芸大会など、社員への慰労と士気の向上を図るため、様々な活動を展開した。終戦後は、GHQによる占領統治下の中、幸之助にだされた公職追放指定をめぐって、労働組合が立ち上がった。幸之助(当時、社主)の公職追放除外の運動をするということであった。経営者の追放を求める労組が多くある中で、松下電器の労組のような存在はめずらしく、政府や労働組合の関係者も感嘆の声をあげている。この除外運動の署名は、従業員の9割以上の賛同を得ており、幸之助と従業員(組合員)との絆の強さを物語っている。

3.「共存共栄」の精神を再確認

1963(昭和38)年、家電業界は、主要製品の普及一巡と景気後退が重なり、たいへんな苦境を迎えていた。松下電器も、当時多くの販売会社・代理店が赤字経営に陥っており、会社存続の危機に瀕した。この窮状をいち早く察知したのは、幸之助であった。
幸之助は、現状を理解するため全国の販売会社・代理店を熱海に招待した。全国販売会社・代理店懇談会、いわゆる「熱海会談」である。

夫婦の絆

大阪電燈を辞め独立した幸之助は、改良ソケットの製造・販売に勤しむが、なかなか売れない。そのため、生活はやがて窮してしまいます。そんな幸之助を支えたのは、妻・むめのとの夫婦の絆でした。

もう一人の創業者

本社を現在の門真に移すまで母(むめの)は病気がちであった父(幸之助)を助け、父とともに仕事を行なってきました。また、父が失意のときにはその生来の明るさで勇気と意欲を父の心の中に奮い立たせることもしばしばであったようです。そうした意味で、母なくして、父はなかった、あるいは、今日の松下電器はなかったといっても過言ではないのではないでしょうか。

松下正治<松下むめの「難儀もまた楽し」序文より>