展示内容

松下幸之助歴史館のフロアマップ。入口すぐ、エントランスホール正面にインフォメーション、その左側にコインロッカーがあります。エントランスホールから、右側奥、手前から順に授乳室、自動販売機、AED、オストメイト、男性用トイレ、女性用トイレがあります。エントランスホールに続くホワイエをまっすぐ進むと、展示室があり、松下幸之助が歩んだ94年の生涯を7章にわけて展示。その道をたどるように見学できます。第二章の奥には1918年創業時の作業場をリアルに復元。展示室中央には幸之助の言葉に触れられる「学びの杜」があります。展示室の最後に、パナソニックの歴史遺産アーカイブズコンテンツを展示しているライブラリーがあります。

松下幸之助が歩んだ94年の「道」

松下幸之助は1894年11月27日、和歌山県和佐村の裕福な農家に誕生しました。
しかし幸之助が4歳の時、父が米相場で失敗し一家は没落。幸之助は小学校を中退し、わずか9歳で丁稚奉公に出ることになります。

幸之助は大阪船場の宮田火鉢店、五代自転車商会で丁稚奉公、商道の基本、商人としての心構えを学びます。そして15歳。街を走る路面電車を見て電気という新時代のエネルギーに惹かれていきます。

1918年3月7日、松下幸之助は妻 むめの、義弟 井植歳男の3人で松下電気器具製作所を創業。改良アタッチメントプラグ、二股ソケット、自転車用砲弾型電池式ランプ、電熱器、ラジオ等の新規事業を次々に立ち上げました。

1929年に綱領・信条を制定、そして1932年の春、幸之助は産業人としての真の使命を自覚。これを命知と呼び、全店員にその熱き思いを共有すべく第1回創業記念式を挙行。翌1933年、門真に拠点を移し業容を拡大していきました。

戦争を迎え、当社も軍需生産への移行を余儀なくされました。終戦後、幸之助は即刻民需生産を再開。会社解体の危機、幾多の困難を乗り越えながら、幸之助は人間と社会のあり方を追求するPHP研究所を設立しました。

終戦後の苦境を脱し1951(昭和26)年、初渡米。豊かな暮らしぶりを目の当たりにし、日本でも実現させようと技術力強化のためフィリップス社と技術提携。1950年代後半、日本の家庭電化を牽引していきました。

1961(昭和36)年、会長に就任しPHP研究を再開。一方、高度成長の行き過ぎを警戒した日銀が金融引き締めを実施。不況と電化製品の一巡が重なり危機的状況を迎えますが、家電流通を改革、再び事業を軌道に乗せます。

創業50周年を経て幸之助は社会貢献活動に注力。1973(昭和48)年、78歳で相談役に就任し松下政経塾設立、鄧小平副首相の求めに応じた中国の発展、日本国際賞創設等、より良き日本、より良き世界の実現をめざす情熱は尽きることがありませんでした。

終章 1989年~ 永眠 94歳
写真:創業の家

1918年 大阪市北区西野田大開町(現 福島区)の「創業の家」を復元。
2階建ての借家の階下3室を工場に改造した当時の様子をリアルに再現しています。当時の電灯事情や、アタッチメントプラグの製造工程などもご覧頂けます。

松下幸之助がどのような思いで事業を拡大させていったか。その原点に触れることができます。

写真:学びの杜

展示エリアの中央に位置し、松下幸之助の言葉に触れたり、ミニシアターでは、松下幸之助の精神とともに歩んだパナソニック100年の歴史映像や、松下幸之助の「商売」「経営」「人づくり」の哲学を学べる映像をご覧頂けます。

展示室にある「松下幸之助のことば」カード珠玉の
30選を自由にお持ち帰り頂けます。

写真:ライブラリー

松下幸之助の"ことば"に関連する幸之助の自著、関連書籍300冊を配架。
一人ひとりの「行き方・考え方」を探る 自修自得・自己観照の場に相応しい、学び、気づきのライブラリーです。

幸之助の言葉に、みなさまが感じたこと、体感されたことなどを栞(しおり)にしたためて頂き投函ください。みなさまの思いが、誰かに伝わります。