広島

昭和58年、瀬戸内に未来を照らす光の技術。

「道路そのものは産業にも役立つし、その他交通の上にも役立つ。そうしてそのこと自体がいろんな観光資源を自然に生むわけです」――高度経済成長期真っ只中、創業者松下幸之助は、繁栄のため道路の拡充と整備の必要性を説く一方、そこから生まれる恩恵をさまざまな機会に訴えました。

そうした声を受けるかのように、昭和40年代には名神高速道路や東名高速道路など、高速道路網の整備が加速。瀬戸内にも夢のプロジェクトが立ち上がりました。『本州四国連絡橋』です。本州と四国を3つのルートで結び、交通動脈として生活や物流、観光を革新するものと注目されました。着工延期もありながら昭和58年に全架橋初の吊橋『因島大橋』が完成。中央支間770メートルは当時、日本最長を誇りました。

ここに、私たちは照明技術で参画。橋上の走行に必要な輝度を確保しつつ、夜の海上交通にも配慮した照明です。というのも『因島大橋』は主要航路に位置。航行に支障をきたしてはならないという条件が課せられていました。そこで先に開通した『大三島橋』で実験を重ね、道路と海上交通の安全を両立。成果は着工が続いた本州四国連絡橋に活かされ次々採用。信頼につながる道標となりました。尾道と今治を結ぶルートは平成18年に全線開通。『しまなみ海道』の愛称で親しまれ、瀬戸内の未来をあかるくひらきました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは広島のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。