山口

昭和55年、山口の若い力とつくった世界一の工場。

「うちには立派な工場がいろいろあるけれども、山口の工場に行ってびっくりした」――創業者松下幸之助は、昭和55年、はじめて山口の工場に訪れた際に、そんな感想を残しています。

当時私たちは、全国ほぼすべての県に工場を持っていました。それは、社会の大きな課題となっていた過疎過密の問題に、いち企業としてできることをしようと、地方に積極的に工場をつくっていたためでした。その数は、工場が完成してもなかなか視察に行くことができないほど。松下幸之助が、山口の工場に訪れたのも、完成からだいぶ経ってからのことでした。「山口県には一つ工場がある。山口松下という会社がある。その会社にはまだ行ったことがなかったんで、行ってみてびっくりした。小さい会社やけど、とても立派な会社や。そこでは最新式の製造方法の設備は、全部松下電器の関係会社でつくったもので、よくこんなものやったなと思うて感心するほどうまくできている」。自分の知らないところで、地元の若い方々と共にさまざまな挑戦をしていたことに驚き、大変喜びしました。そして「これは世界一の工場やな、というようなものができている」と、惜しみない賛辞を送りました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは山口のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。