栃木

昭和42年、カラーテレビの時代を彩った宇都宮の工場。

昭和38年6月。創業者松下幸之助は栃木県の誘致担当者に突然の来訪を告げました。その日はひどい土砂降りで、担当者はスーツに傘をさして宇都宮工業団地へ向かいました。到着した松下幸之助は、かっぱに長ぐつという姿。造成中の団地内に足を踏み入れ、2時間にわたり雨水の流れを細かく確認して歩きました。その時の模様を担当者はこのように語っています。「雨の日を選んだのは排水を見るためだった。わざと条件の悪いときを選んでいた。さすがと思いました」。

昭和41年に、工場建設が決定。翌年4月、カラーテレビの組み立てを行う宇都宮工場が稼働をはじめました。時は、高度経済成長期の真っ只中。カラーテレビは新・三種の神器のひとつとして謳われ、爆発的に普及し出した頃でした。隣にはブラウン管の製造工場も建てられ、スピーディーな生産体制を確立したこの工場は、地元の方々からたくさんの力をお借りしながら、テレビの大供給拠点となっていきました。カラーという新しい時代が、ここから全国各地へと広がっていったのです。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは,栃木のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。