神奈川

昭和43年、東名高速道路の先に日本の未来を見ていた。

「自動車という文明の利器を混乱のない姿で活用するためには、何をおいても道路を拡充し、整備していかなければならない」――昭和43年の創業者松下幸之助の言葉には、日本の未来への真摯な思いが背景にありました。

時は高度経済成長期。日本は、奇跡と言えるほどの発展を遂げる一方で、いくつもの社会的な問題が顕著になっていました。過疎過密や交通戦争それら問題の解決策のひとつとして、松下幸之助は 道路の整備や拡充をあげました。

「道路が整備、拡充され、スムーズな交通が可能になれば今まで五時間かかったところが四時間なり三時間なりで行けるようになる。同時に事故の後始末などによるいわば金と時間のムダ使いも相当少なくなるから、社会各面における生産性が大幅に向上し、経済活動はいっそう活発なものになる。それはひいては、物価安定の大きな基盤にもなるであろう。また、道路が新設、整備 されれば、地方の開発が促進されるから、その結果、人口の都市集中の弊も徐々に解消していくことができよう」

国の早急な対応を訴える一方で、企業としてできることを考え、交通分野に参入。昭和43年、東名高速道路の東京・川崎間の全線照明のほか、さまざまな機器を 納入するなど、国や地方自治体と力を合わせながら、日本の東西を結ぶ大動脈の安全な交通の一助となれるよう努めました。その先にあかるい日本の未来があることを信じながら。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは神奈川のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。