福岡

昭和30年、九州の発展を使命として生まれた工場。

「九州の発展のためにお引き受けしましょう」――福岡のみなさまと私たちの挑戦は、創業者松下幸之助の一言から、はじまりました。

昭和29年。当時の九州地方は、主要産業である石炭産業が斜陽化しており、地域経済の再建のために新たな産業の誘致が求められていました。そんな中、福岡県と市の方々が、私たちの大阪本社を訪ねてこられて言いました。「福岡の、いまは使われていない工場を使用して、地域開発のために協力してもらえないだろうか」。当時の日本は復興期にあって、使われないままでいる土地が、たくさんあったのです。力になりたい。そう思う一方で、当時の九州は、家電工場が必要とする関連工場がまったくと言っていいほど育っていませんでした。そのため、残念ながら最初はお断りをいたしました。しかし翌30年、再び本社にお越しになった県と市の方々から「地元の発展のために」と再度依頼を受けた時に、松下幸之助は言いました。「地元のみなさんがそれほど熱心におっしゃるならばわれわれもみなさんの熱意にお応えしないわけにはいきません」。そこに続いたのが冒頭の言葉でした。長い道のりであることを承知しながら、それでも決断したのは『産業を通じて地域に貢献する』という経営理念を実践するためでした。その決意は、福岡の工場にとどまらず『九州各県にひとつずつ工場をつくる』計画へと発展。それぞれの地元の方と力を合わせながら九州と日本の発展のために尽くしました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、福岡のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。