熊本

昭和55年、世界のトップへはばたく旧菊水町の磁気ヘッド工場。

「九州の発展のためにお引き受けしましょう」――熊本のみなさまと私たちの挑戦は、創業者松下幸之助の一言から、はじまりました。

昭和29年。当時の九州地方は、主要産業である石炭産業が斜陽化しており、地域経済の再建のために新たな産業の誘致が求められていました。そんな中、地元の県と市の方々が、私たちの大阪本社を訪ねてこられて言いました。「いまは使われていない工場を使用して、地域開発のために協力してもらえないだろうか」。当時の日本は復興期にあって、使われないままでいる土地が、たくさんあったのです。力になりたい。そう思う一方で、当時の九州は、家電工場が必要とする関連工場がまったくと言っていいほど育っていませんでした。そのため、最初はお断りをいたしました。しかし翌年、再び本社にお越しになった県と市の方々から「地元の発展のために」と再度依頼を受けた時に、松下幸之助は言いました。「地元のみなさんがそれほど熱心におっしゃるならばわれわれもみなさんの熱意にお応えしないわけにはいきません」。それに続いたのが冒頭の言葉でした。それはやがて『九州各県にひとつずつ工場をつくる』計画へと発展。こうして昭和55年に建設されたのが旧菊水町の工場でした。地元のたくさんの方々を採用し、力を合わせて立ち上げた工場では磁気ヘッドを生産。その薄膜形成技術と超微細加工技術から生まれる『薄膜磁気ヘッド』は、電算機の磁気記憶装置をはじめ、VTRや録音機の高精度の再生ヘッド・位置センサーなど、さまざまな分野への応用が期待されました。やがて、コンピュータ関連機器の世界的な急拡大と共に急成長、磁気ヘッドの分野で世界トップの工場へとなっていきました。35年以上経ったいまもこの工場は現役で、熊本と日本のために稼働し続けています。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、熊本のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。