鹿児島

昭和61年、鹿児島観光をささえる安全な道づくり。

「道路そのものは産業にも役立つし、その他交通の上にも役立つ。そうしてそのこと自体がいろんな観光資源を自然に生むわけです」――高度経済成長期の真っ只中、創業者松下幸之助は、繁栄のため道路の拡充と整備の必要性を説く一方、そこから生まれる恩恵をさまざまな機会に訴えました。

そうした声を受けるかのように、昭和40年代には名神高速道路、東名高速道路、中央自動車道など高速道路網の整備が加速しました。そして昭和46年には、いよいよ九州自動車道が部分開通。九州自動車道の延伸と共に当時のハネムーンブームにも乗って、桜島や霧島、指宿など南国鹿児島を代表する観光地へ、たくさんの旅行客が訪れるようになりました。

鹿児島の観光産業の振興にともない増加する道路の交通量。トンネル内では、自動車の排気の煤塵に路面から巻き上がる粉塵が加わり、ドライバーの視界を遮っていました。その対策に、私たちの換気技術がひと役。昭和61年、指宿温泉につながる国道226号線の成川トンネルに、ジェットファンと計測・制御システムを納入しました。天井に吊ったジェットファンでトンネルを縦方向に換気。風速や風向き、空気中の有害物質など、空気情報をセンサーできめ細かく読み取り、最適で安全な換気状態に制御するものです。この技術は、鹿児島空港につながる国道504号線の高尾野トンネルでもご採用いただいた他、各地の山岳道路などのトンネルで活躍。安全で快適な道路交通の道筋をひらきました。

大正7年の創業以来、私たちがここまで歩んでこられたことは、鹿児島のみなさまをはじめとする、たくさんの方々のご愛顧とご信頼の賜物と心より感謝申し上げます。これからも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

おかげさまで、パナソニックは創業100周年を迎えました。