国産初の完全金属外装乾電池「ナショナルハイパー」発売

ナショナルハイパー乾電池写真

ハイパー乾電池の発売

昭和25年(1950)に勃発した朝鮮動乱の特需で活気を得た業界では、外国メーカーとの技術提携が盛んであった。
松下電器でも検討されたが、“あくまでも独自の技術で世界的水準の製品を開発する”との方針を堅持し、原材料・部品を自社内部でつくり、一貫した生産を開始した。昭和29年(1954)4月、日本で初めての完全金属外装裸式乾電池「ナショナルハイパー」の開発に成功。これによってナショナル乾電池の地歩を固めた。
一方、懐中電灯やランプなど、光の分野が中心であった乾電池需要の拡大に向け、応用製品の積極的な開発に着手。昭和30年(1955)のガスライターを皮切りに、乾電池時計、自動ガスコンロ、110番ブザー、風呂ブザーと次つぎに新製品を開発。熱、力、音といった新分野を切り開き、乾電池の需要を急速に拡大させ、工場もオートメーション化された。

※社史史料の社名の表記は当時の名前で掲載しています。