1. 和歌山県和佐村に生まれる 1894年(明治27年)11月27日

はるか大台ヶ原山に源を発する奈良県の吉野川は、途中の山々からも清冽な水を集めつつ西に下り、和歌山県に至って紀ノ川となる。その水の豊かさと碧さをたたえて、紀ノ川は今も昔ながらに悠々と流れている。

松下幸之助は、その河口を10キロ余りさかのぼった南岸沿いの農村に生まれた。現在は和歌山市に入るが、当時の地名は和歌山県海草郡和佐村字千旦ノ木である。時に、明治27年11月27日、日清戦争さなかのことであった。

父は松下政楠、母はとく枝という。8人兄弟で3男末子の彼は、両親にとくにかわいがられて育った。家が樹令数百年はたつという松の大樹の下にあったところから、松下の姓はつけられたという。

村では小地主の階級にあり、かなりの資産家だった。幼いころの彼は子守りと一緒に川で魚を釣ったり、鬼ごっこをしたりして、平穏な日々を送っている。

そんな幸せな暮しも長くは続かず、彼はやがて波乱の人生を送ることになる。