事業の前に知財あり

パナソニック創業2年前となる1916年、大阪電燈の従業員として配線工事に従事していた青年・松下幸之助は、配線工事で使っていたソケットの改良に取り組み、「松下式ソケット」を開発し、個人として実用新案を出願しました。それがパナソニックの知財取得の第一歩となりました。以降も「事業の前に知財あり」という精神のもと、経営者でありながらも、幸之助は55歳まで特許出願活動を実践。自ら手掛けた特許・実用新案はなんと100件にものぼりました。

時代に先駆けた高い知財意識

創業から14年後の1932年、ラジオの重要部分の特許をある発明家が所有していました。高周波回路で多極管を使用するラジオは、この特許に抵触するために、ラジオの設計の上で大きな障害となっていました。「企業は社会の公器」であるべきと考える創業者はこの事態を憂慮し、同年10月、この特許を買収し、同業メーカーが自由に使えるように、無償で公開しました。これは、現代でいうところのオープン戦略の実行といえるものであります。現代まで引き継がれる当社の知財活動への高い意識の現れといえるでしょう。

特許保有件数日本一

※特許保有件数は、日本の登録特許保有件数です。

1950年代、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及するとともに、自動炊飯器、掃除機、トランジスタラジオ、ステレオ、テープレコーダー、エアーコンディショナーといった新たな家電製品を次々に開発・発売。それに伴い、特許件数も大きく伸びていきました。その後も、多くの家電製品を開発し、1973年に当社は特許保有件数で日本一となりました。

時代とともに移り変わる知財活動

1980年にはベータ方式との競争を制し業界標準を勝ち得たVHS方式のVTR特許のライセンスを開始、「知的財産を競争力の源泉に」とする流れを強めていきました。日本製の家電や自動車が世界的なブランドとなり、日本企業の隆盛が海外でも驚異とされた時代でもあります。当社のビデオデッキが1983年に累計1千万台を超え、「半導体」「情報通信」「家電(AV)」の事業が伸長する一方で、対日貿易赤字を背景にアメリカの企業、国をあげた対日政策も強硬となっていきました。米国政府が国内産業の国際競争力を回復するため、特許権の保護を重視する「プロパテント政策」を採用したことから、特許侵害訴訟が一気に増え、日本企業はこれまであまりさらされたことのなかった特許紛争に巻き込まれていきました。当社もまた米国企業からの訴訟に直面し、多額の実施料を支払うなど、経営に与える不利益は実に大きなものがあり、改めて当社の国際的な知財管理の体制強化が求められることになりました。

世界一を誇る国際出願

※2007年実績

2004年、「知財立社」というスローガンのもと、事業の優位性と安全を知財面で確保することで全社の事業目標達成に貢献することを目指しました。折しも知的財産の創出・保護・活用に国をあげて取り組む国家戦略として「知財立国」が宣言され、知財に関する意識は国家レベルで高まっていました。
またこの時期はデジタルネットワーク分野、デバイス分野を巻き込んだ複合型特許係争が増加しており、当社は日本偏重からグローバル特許の獲得に向けた取組みを加速し、2007年には国際出願件数が世界一となりました。また知財係争が激化するなか、当社事業を守るべく徹底した交渉戦術を推進しました。

現在は、事業動向・規模に応じた知財ポートフォリオの組み換えを推進しております。現在でも10万件以上の知財を保有し、日本・外国特許保有件数ランキングでも常にトップクラスを誇っています。

知財部を知財カンパニーへ

2010年代に入ると、ビジネスに関わる競争が国内の同業他社間だけではなく、異業種間・グローバルに拡大するなど、市場環境が大きく変化してきました。その大競争時代に対応するため、2014年にパナソニックから知財実務機能を独立させ別法人化。パナソニックIPマネジメント株式会社を設立しました。以来、知的財産活動を事業として経営責任を明確にし、パナソニックの成長戦略に貢献していくことになりました。

パナソニックの知財実務機能を集約したパナソニックIPマネジメント株式会社には、「専門力」「連携・統合力」「提案力」などさまざまな強みがあります。パナソニックの知財活動を支えてきた長年のノウハウで知的財産活動を強力にバックアップしています。