2-3. 「ナショナル」の誕生

幸之助は頭をひねっていた。今度の新製品にどんな名前をつけるか、悩みに悩んでいたのである。新製品とは角型の自転車ランプ。大正12年に売り出した「砲弾型ランプ」に続く第二弾の商品である。幸之助にとって、この角型ランプの売り出しには特別の意味があった。それまで自転車ランプの販売を任せていた山本商店から販売権を買い戻し、自らリスクを背負って、自分で全国に売り出そうと決意した商品だからだ。10も20も紙の上に名前を連ねてみては、腕を組む日々が続いた。ある日、新聞を見ていた幸之助は一つの言葉に目をひかれた。

「おい、“インターナショナル”ってなんちゅう意味や?ロシアの革命と関係あるんやろか?」「ん-、辞書では“国際的”ちゅうような意味ですな。“ナショナル”だけでは、“国民の”、ですなあ」「国民……ナショナル……。」

「ナショナルランプ」即ち、「国民のランプ」や。国民の必需品になっていくにふさわしい、いい名前ではないかと幸之助は思った。

幸之助は全生命をこの「ナショナルランプ」に打ち込んだ。販促宣伝のため1万個も市場に無料提供し、初めて新聞広告も出した。ホーロー製の看板も用意した。このランプなら全国民を相手に商売ができうる。そう信じて企業規模から考えれば桁外れの大さな手を打ったのだ。昭和2年4月に売り出したこのランプは、予想をはるかに超えるほどの大ヒット商品となった。