大正7年、松下幸之助は「松下電気器具製作所(まつしたでんききぐせいさくしょ)」を創業(そうぎょう)した。2階建ての借家の階下3室を改造(かいぞう)した作業場に小型のプレス機2台、人手は自分を含(ふく)めて家族3人。このささやかな体制(たいせい)を出発点に、幸之助は「アタッチメントプラグ」「二灯用差し込(こ)みプラグ」をはじめとして、便利で安い配線器具を次々(つぎつぎ)と生み出していった。一方で持ち前の商才も発揮(はっき)。日本経済全体(にほんけいざいぜんたい)が第1次世界大戦による好景気の反動で停滞(ていたい)していたこの時期に、関東方面へ販路(はんろ)を伸(の)ばしていった。

創業からわずか4年余(あま)り、幸之助は50名の従業員(じゅうぎょういん)を擁(よう)し、全国に販売(はんばい)される十数種類もの製品(せいひん)を生み出す中堅企業(ちゅうけんきぎょう)の所主となっていた。そして、事業が一応(いちおう)の成功を見せ始めた頃(ころ)、自分の事業のあり方について、目先の商売、損得(そんとく)という枠(わく)を超(こ)えて探(ふか)く、広い視野(しや)で考えるようになってきていた。